M-1 2021

M-1の感想

モグライダー

バカキャラと歌ネタって明らかに面白くなさそうなのに、扱うテーマとツッコミの脱力感がなかなかハマっていて普通に面白かった。ただ声をデカくしてボケるのは寒くて好きじゃないけどね。それでもやっぱり面白かったしトップバッターじゃなきゃ決勝行ってた気がするなぁと思う。来年M-1でて良い結果残すか今年売れて欲しい。

ランジャタイ

ランジャタイ好きなんだけど、個人的にはつまらなかった。妥当な点数だと思う。天竺鼠YouTubeで披露したネタは死ぬほど笑ったけども。しかしながらあんなネタをM-1でやったこと、等身大オール阪神・巨人を出してくれたことは本当に良かった…というか嬉しかった。色々含めて全部上手く行ったと思う。

ゆにばーす

ゆにばーすは嫌いだったけど漫才を一応見た。ネタの構成とかテンポとかめちゃくちゃ上手いなと思ったけど、上手いだけで面白くない。上手さで言えば決勝行ってたと思うけど、面白くない。審査員も上手いってだけ言って内容に関しては言葉を濁してたのが「あぁ…」という感じだった。嫌いだったけど、凄いなとは思った。

ハライチ

嫌いだし見てない。

真空ジェシカ

今回のM-1で初めて笑った。ボケもハズレがなかったし細かく刻んでいてテンポが良かった。ただ少し雑というか、シュールというか…余りあるセンスで勝ち進んできたという印象。いざ決勝となると点数の面で少し減点があったのかなと。観てたその時は「なんでゆにばーすと同じ点数なんだよ!」って思ったけど、改めて考えるとまぁ妥当かなと思えてくる。審査員はやっぱり凄いね。

オズワルド

嫌いではないけどそんなに好きではない。今回は全然面白くなかったけど、「あぁこれかなりいい点数貰うだろうな」とは思った。まぁネタも上手いし爆発もあるし間も良い感じだもんね。

ロングコートダディ

前回の敗者復活で「つまらねーな…」と思っていたけど、今回は中々良かった。明らかにコントチックなのでその辺の審査員の好みの少しの差で決勝に行けなかったんだと思う。確かにわざわざ場所を移動する必要はないよね。でもまた来年も見たいなと思った。

錦鯉

また今年もこのオッサンら出るのかよ。うるせーしつまんねーし…。(後述)

インディアンス

オズワルドと全く一緒、決勝行くんだろうなと思ってたけど、まぁ〜個人的には全然面白くなかったね。

もも

なんで全員90点代なんだよ、一番あり得ねぇよ。

 

最終決戦

どのコンビも好きじゃないし誰が優勝しても良いかな〜つって漫才見てない。結果発表だけワクワクして見てた。

 

錦鯉優勝!

マジか〜…とは思ったものの、なんかめちゃくちゃ泣いてるし全くボケないじゃん。富澤も塙も貰い泣きしてるし、というかなんでそんなに泣き顔綺麗なんだよ。

…………いや、なんか分からないけど、優勝して良かったね。って思っちゃったよ。

あんなに泣かれたらこっちだってちょっと…ねぇ?改めてYouTubeでネタ見たらちょっと面白いと思っちゃってるし、なんかズリィわ。でも良い終わり方したなとは思った。努力は報われるなんかさ、そんな訳ねぇんだけど、こういう人達がいるのは良いわ。

 

その他

上沼恵美子シラクの気まぐれ高得点でだいぶ変わってくるなと思った。でも慎重すぎるのも良くないとは思う。

モグライダーを基準につけている感じがしたけど、そのことは今大会で一番良かったと思う。

インディアンスとオズワルドは気持ち分かるけど、点数がちょっと高い気がするな。決勝2、3回目だから少し甘くしてんじゃねぇの?とは思っちゃったね。

あと敗者復活戦、レベル低過ぎ、そら人気投票になるわ。

 

個人的MVPかつ優勝はモグライダーでした。以上!

 

めっさ好きな曲

他人の好きな曲っていくら言葉巧みに推されても、なかなか聞く気にならないから、その気持ちが分かるから、この記事が無駄になることは容易に想像出来る。こういった前置きをしておけば見てくれる人が増えるのかもという下衆な下心も十二分にあるけれど、それも“言葉巧み”の範疇に入るなら、やっぱり聞いてくれる人は少ない(はず)。この記事で紹介するものだけは本当に聞いて欲しい!とまぁこんな内容のことをダラダラと例えば3万字で書き連ねても見ない人は見ない、聞かない人は聞かない、現にこの文をこの行までしっかり読み通してる人がいるのかすら怪しい。どうすればいいんだろう?どうもしない、言葉で誘うのは無理だ、これは信用の問題。俺がどれくらい音楽好きで通ってるのか。幅広く聞いてることになってるのか、そうでないのか。現実問題聞きたいと思わせる信用がないだろう、いや、あると思ってくれる人もいるかもしれない、だが少数だ。だから“こんなこと”書かずにどんどん好きな曲を書けばいいのだ、でも…分かってんだ、こういうことを書いてからじゃないと俺は書き始められない人間だ、何でも。


Rebirth The Edge

Rebirth the edge - YouTube

戦国ランスというエロゲーのボス戦でのインスト曲。“エロゲーなのに”なんて修飾をせずとも伝わるあまりの完成度。あり得ないくらいアツい。自分はこの曲のために戦国ランスをプレイした。電車の中で聴いて泣いてしまった(感動ではなく本当に涙が出た)ことがある。

どんなところが良いとかは今後紹介する曲も含めあまり言わないでおこうと思ってる、何故なら絶対聴くことでしか良さは理解出来ないから。要するにこんな文章全部無視でURL踏めって話ですよ。

今思ったけど、そうだな…「この曲はマジ最高、お前も聞け」本当はこれだけで良いんですよ。でもこれだと味気ないからみんなダラダラと書いちゃう、難しい言葉使って良さを伝えようとする、無理だろ。所詮そんな言葉聴いてくれるために誘導するツールでしかない、聴いてくれればそんな言葉要らないわけだ。その曲に対する自分の意見も知って欲しいならアレだけど、少なくとも俺はそうじゃない、そうだと思ってたけど、そうじゃねぇんだな。とにかく聴いてくれればそれで良いんだよ。この文章も聞かせる為のレトリックなのかもしれない、いや!そうでしょう、穿つなら。だからこの話はここで終わり、指針が決まった、ただひたすらにURLを貼る!それでいいな、準備はいいか?俺は出来てる。

あと一つ言っておきたいことが、どんな有名な曲でも改めて聴くとヤベェってのが沢山あるから、そこをバカにしないで欲しい。たとえ俺がミスチルだのチャゲアスのURLを貼っても、マジで好きすぎる曲だから貼ってんだって思って欲しい。マイナーな曲だけ貼るつもりでいたけど、それって違うよな…違う…

 

HASAMI group - 病気が治ったら - YouTube

ワールドウェディング CMソング - ジュレ~誓う~ 高岡陽子 - YouTube

Jurassic Parkのテーマ曲 - YouTube

[Sound Horizon] Sei To Shi Wo Wakatsu Kyoukai No Furuido (生と死を別つ境界の古井戸) - YouTube

Thanatos 輪廻の砂時計 - YouTube

Arcade Fire - Neighborhood #1 (Tunnels) - YouTube

「デレステ」流れ星キセキ (Game ver.) 標準メンバー new generations SSR - YouTube

"弱虫毛虫" by cali≠gari 【PV】 - YouTube

CROSS†CHANNEL - CROSSING - YouTube

WHITE ALBUM2-After All ~綴る想い~(原文歌詞、中文填詞) - YouTube

ユメ射す明日へ【歌詞付#4】でんぱ組.inc - YouTube

 

今回はちょっと日本の曲が多いかな、アクセス数が伸びたら次の記事とかでもっと貼りたいな、あと1000曲はあるので。

一つ合わなかったからって他の曲が合わないとは限らないから、全部とは言わん、最低2曲は聴いてほしい。幸か不幸か偶然にもあなたはこのブログを見てしまったんだから、少し時間を下さい。

 

 

 

 

 

いや…一曲でも聴いてくださった方本当にありがとうございました。音楽好きにとっておすすめを聞いてくれること以上の快楽はありません。

 

ほんの少し見たオリンピックの開会式

正確に言うとダイジェスト版のようなものを10分程度見た。感動した。オリンピックに対して反対する気持ちはあったし今でも十分ある。それでも尚開会式含め大会を通してテレビ釘付けになるであろう自分を想像していた。開会式に限れば実際そうなったのだけれど、何もかもが思っていた通りになったのに感情だけは思っていた通りではなかった。そこにあるのは生々しい震えるほどの感動。想像力の限界を突破する感動。何が?どの辺が?全く説明できる気がしないし、もう“したくない”のだ。小学校中学校高校の文化祭?行事?ことある度に言われてきた絆、努力、友情、成功…あぁ…これか…何年越しなのだろうか、こう言った言葉が面前に迫ってきて初めて思う“これか!これだったのか!!!”。たくさんの人が取り組み、努力している、その集大成を見ている。なんてありきたりの言葉で、ありきたりの状況で、ありきたりな感情を抱いているんでしょう。今までそういう言葉の意味を分からなかった、分かってなかったんだと分かった。常套句、定型表現、長く歩んできたようで決定的な隔絶がずっと存在していたのでは!?オーマイガッ…それと同時に気付く、オリンピックへの思い。殺人五輪なんて右翼のしょうもないタグでさえも同意出来るほど今回のオリンピックに対して素直に同意出来る俺じゃない。でも、でもだ。「でも」…この全てを超越してしまう破壊的な接続詞…でもあの感動の前には全てが霞む。いや、見終われば霞まなくなる。だが一瞬でも感動は勝った。これを恐ろしいと形容してしまう俺の早計さを呪わなくちゃいけない。揺れ動く気持ちにケリをつけて賛成か反対か決めなくちゃダメなのか?いやもうよそう、イデオロギーは他人行儀、感情と折り合いを付けようとすることが出来てもそれを達成するモチベーションなんか曖昧なものでしかあり得ない。感動したそれをそれとして受け止めた後にオリンピックを思いっきり罵倒しても良いじゃないですか。取り敢えずあの開会式に感動出来ないか?「感情の押し付けか?」EXACTLY、だが俺が押し付けても押し付けなくても俺のいうことを聞く奴なんていない…、感動できなくてもいい…言葉が先に来る前に感情を享受しろ…何か言おうとするな…ツイートを考えるな…

好きな曲をもっと聴け

例えば他人に自己紹介する時に、決して押し出すつもりはないけども、少し同士を見つけられるかもしれないなという気持ちでもって「音楽を聴くのが好きです…」と小声で言って後から話しかけられたいタイプである俺が言うのもなんだが、決してそうした音楽好きではない(他人に言う言わないは別にせよ)人も必ず「自分の“好きな曲”」というものを持っているはずだと思っている。

さて俺は、音楽に関するありきたりな言説「癒してくれる」「やる気が出る」等々に100%同意はしているけども、そういう言葉を聞くと何故か嫌な気分になる。

音楽を聴いて心震える瞬間というものは到底言葉では語りきれないし、癒しだとかで括られる訳がない。これが俺だけの個人的な意見だと思うならもうここで読まなくてもいい。圧倒的な感動を…もはや音楽じゃなくてもいい…感じた時に、言葉で括る事の陳腐さに吐き気がするほど嫌になる気持ちがあるということは強調してもし足りない。俺はそういう人間だし、そういう人間がいて欲しい。

頭痛くなってロキソニン飲んだりのと訳が違うんだぜ、癒しを求めて音楽を聴くっつーことは…打ち震える感動も言い表せない情緖も全部“癒し”の名の下に還元してしまうことになるし、そうなればのっぺりした言語先行の感情しか持てなくなるってことだよ。実局俺も癒しを求めてるのかもしれない、結果的にな…でも、癒し主体で音楽を聴くならば“その感情”もお前のだけの観念である“癒し”の名の下にどんどんと吸い込まれていくんだぜ。いつかはあんな感情もこんな感情も全部お前の言う“癒し”になるんだ。だがしかしそれで満足している、もはやその時には鳥籠の中の鳥になっているのだから。もちろん癒しなんて言葉は一つの例…

「なんだこの気持ち」という感情、ジョイマン風に言うなら「なんだこの気持ち〜!?!?」という感情を我々は温めるべきだと思う。反射的に物事に対する意見や感情を求められている、或いは発信せよと強いられている時代だからこそ、何者か分からない気持ちをそのままにしなきゃと俺は思う訳ですよ。意味が分からない?俺も分かってねぇんだからお前が分かる訳ないだろ。大切にしなきゃ?何を?知らねぇよ…

とはいいつつ分かる方法が一つある…それは好きな曲をじっくり聴くこと…これに尽きる。俺が用意した稚拙な論理展開を聞く前に、この記事を閉じて、取り敢えず好きな音楽を聴け…まずそれからだ…絶対にそれからだ…

 

好きな曲聴いたか?ヤベェよな?胸が苦しくなったり色々なやる気が出たり悩みが一時的に消えたりしたか?そうだ…お前らが今どう思ってんのか知らねぇけど、好きな曲を聴くといつも思うんだ俺は…「予想してたよりも何倍も良い」って…いつも聴いていて何回も聴いているのにいざ改めて聴くと「やっぱりマジで良い曲だな」って思うんだ…なぁ…これって俺だけなのか?俺だけだったらこの記事何の意味もねぇんだよ…………でも居るだろ、居てくれなきゃ困る、そんな人間がいない世界に俺は困る。

この良さ、もはやどう名付けても良いこの感情を、平坦化されるのが嫌なんだ俺は…この世界…刺激を追求しすぎた結果何もかもが平坦化した世界…何か自分が変わる“事件”など起こる気配もない世界、そこに存在する、常に予想を上回って我々を打ち震えさせる何かを与えてくれる…まさにそれは音楽…!

これを大切にしなきゃ俺はもうやってられないってマジで思うんだぜ。だからこそ書いてるんだ。

で、その良さを感じたことに対しても正直『胸が苦しくなったり色々なやる気が出たり悩みが一時的に消えたりした』なんてことすらも思う必要がないのかもしれないと考えたりもする。

だからもう…俺が言えるのは、言いたいのは、もうここまでだ…

【好きな音楽を聴いた時の感情を大切に】俺が言いたいのは結局これだけだよ…

反ワクチンとかそれ以前に

コロナの話をしたくないがするしかない。去年から気になっていた陰謀論、ここまで大きくなるとは思ってなかった。大きくなると言っても目にする機会が増えただけであって実際にそういう人は増えているかどうかは分からない、でも増えていると思ってしまう。確証はないけれど。

しかしまず絶対に言っておかなければならないことが一つある。相対的に言えば俺は科学主義に傾倒しているということは否定出来ないけれど、かと言って陰謀論を確実に打ちのめさなければいけない論敵とも考えてはいない(確実…笑、これはレトリックですらあるが)。敢えていうまでもないがその人にはその人の主義主張がある。それどころかその正当性を保証する理論すらもその主義主張から引っ張り出す事が可能なのだから対立しないということは稀であるという他ない(個人ではなく理論的な問題で)。だがその正当性云々以前に陰謀論に対して反動的な目線を投げかけるつもりもない。しかし反動的になってしまう時がある。それも陰謀論ではない何かしらの主張に対しても。(ここでいう陰謀論は真偽どちらでもありうる、真なる陰謀も歴史的に存在したということは誰もが否定できない事実であると言ってよい)何故なのか。科学主義といえども論理的に、理性的に考えることは「科学主義は現在のヘゲモニーである」と言う事が奇妙であるぐらい社会に浸透し許容されている価値観であり、論理的な説明を欠いたものは宗教(貶す意味での)と言わざるを得ない。だからこそ非論理的な言説を弄する集団の現れというものは尚恐ろしく感じる。それがヘゲモニーにとって変わるという恐怖からではなく、単にカルトであるから。単に会話が通じないから。言葉を通して意見の交換が全く出来ないから。事細かに説明する事が野暮であると思われる程の自明な恐ろしさ。話が通じない恐ろしさ。

反ワクチンを例に取ろう。もちろん反ワクチンが非論理的だとは言わない。今世界に流布している反ワクチン言説の浅はかさが非論理的だという事。まずワクチンには作用がある。副作用もある。これは事実だ。そして作用を求めてワクチンを打つ。副作用を恐れてワクチンを打たない。これもまた事実。ここで「副作用のデメリットよりも作用のメリットの方が上回るだろ、反ワクチンは頭おかしい」と思う方がいるかもしれない、いや、自分も9割型そちら寄りではある。だがその論理は反ワクチン側も同じように使える訳で、「デメリットの方が上回る、ワクチンを打つなんてあり得ない」とまぁこうなる訳だ。でも統計的な観点に立った理由付けが出来るのは…実利的な性格を与えてくれる考え方は…?

そう…副作用も作用も十分に考えて片方に肩入れする人はどのくらいいるのだろうか?やはりそうなると親ワクチン(反ワクチン派と対立する派閥としよう)の方は副作用も含め色々調べて、論理的に親ワクチンを選んでいる、まぁ論理的である。対して反ワクチン派でメリット(接種した人が発症しなくなる確率など)を引き合いに出す方は殆どいない。見た限りではマジでいない。これは論理的だろうか?いやこれらの偏見が俺が見た中での少数例だとしても、だとしても、自分に都合の良いものだけを引っ張ってきて、親ワクチンの言説が多い中、少数派の反ワクチンの言説を敢えて支持するという根拠はどこから生まれてきたのだろうか?となる。100個ある理論のうちの、1つがそれ以外の99個に反しているからと言ってそれが真実であるという保証と根拠はあるのだろうか?副作用に関しては誰だって心配である。親ワクチン派であっても打つことを躊躇う人は沢山いる。それでも尚天秤にかけることをせず、人体実験や5Gや数十年後の副作用などの非論理的な概念をそこまで信じ続ける気力が起こるのか。仮に実際、人体実験が行われていると信じるのならば打たなければいい。しかしながら多くの人に伝えたいならある程度信頼される科学的根拠を提示しなくちゃいけない訳だ。しかしながら人体実験を世に知らしめる必要もないなら、「世界の事実を知らない人」をバカにするために内輪でワイワイタグつけてはしゃぐことになるんでしょうか?

とにかく…信じたいものばかり信じるならばそれを保証する根拠は非論理的な場合、荒唐無稽になりがちである…まず大前提として全てが少数派であるものである英語のものや医学の権威を借りた言説を日本国旗のハンネやトランプアイコンが取り扱う…アイコンの横になんと書いてある?メディアに騙されない…覚醒している…目覚めている…

知性のかけらも感じられないと結論づけたい気持ちを抑えて俺は書いた…

とにかく言いたいのは天秤にかけずに非理性的で感情に訴えかける言葉を軸に物事を決めている人についての浅はかさだ…こんなことは親ワクチン派でも一緒…陰謀や反ワクチンが荒唐無稽な訳ではない…それを支持する人の考え方の浅はかさが目立つだけだ…疲れた…こんなことを書かせるな…

酷い文章

あり得ねェくれェの鬱になる。鬱病…鬱の病気…辛い病気…ただの甘え…カキカキと鬱病もどきのエッセイをひたすらに書き込んでゆくクリエイターのぼく、もどきのぼく…ただ一つ辛いのは分かる…書きたいように書ききれないこと…語り得ないこと…本当に語り得ないこと…自分の足元なのか頭上なのかに位置する(いや、していて欲しい)、絶対的故に相対化不可のあらん限りの象徴を飲み込み、返さない、無秩序のブラックホール。人間であることの身体的限界と精神的限界、世界と自身とを分かつ壁は、人を型取り閉じ込める檻、見えない檻?そこにある檻?叩く?檻…檻…境界線は数学的に厳密性が保証出来るほど酷くくっきりと引かれている。言語の限界、運用、言葉を選んで取り違える、自己矛盾が内在化されている、辛い、辛くない、反復、対立、反転、静観、受動、能動、スタイル、システム、あるいはそうでないもの全て、全て以外の全て、そこから滲み出るもの、はみ出るもの、それを超えて何処へ行くのか?何をするのかしたいのか?憧れ?興味?そうではない何か?本能だろうか?違う!この………文字!霞む…霞んでゆく…!!は…紡げない……途切れる…途切れるん だ…とぎれ とぎれ      とき ときい ときぎん (端的に言えば1億年掛かる、掛かってしまえもう

6月1日はヤンチャな気持ちになるね

やる気がない、いや…やる気はある。第一声(最初の文章)に「やる気がない」を選ぶあたりその辺のクオリアに俺が支配されている可能性は非常に高い、だが言い換えでその問題を的確に言い当てられるのか?無理でしょう。無理でしかない、無理しか望んでいない。無理だという結論しか用意できないという前提の問いなのだから。これは虚無なのか絶望なのか、無為でしかないのか。聞き飽きた質問を開け飽きた口から止めどなく垂れ流し、切り刻み、忘れる。声に出すか、文章にするのか、その断絶自体もまた然り、我々は何も認めないことを前提に問いを延々に垂れ流している。んじゃ、どうするってそりゃどうしようもねェだろ。家から出てコンビニエンスストア(通称コンビニ)に酒買いに行けば治るか?治るんだなそれが。どうしようもねェしそれがどうでもいいんじゃねェけど、所詮“そんなこと”以上にはなんねェくて、思った以上に、俺が作為的にしているようにはそこに悩む価値を見出すようには差し向けられねェ性質のモンなんだな、所詮だよ所詮。なんでも良い、シャーペンの芯が指に刺さったり、USB無くしたり、家によく分かんねェデケェ虫がいたり、いや、もっとだ、家に帰ってきたり、手洗いうがいしたり、布団に入ったり、そんなことしているうちにこんな実存の悩みなんて綺麗さっぱり完全に忘れてしまうんだぜ。芸能人様が結婚したり亡くなったりおもしれェ性犯罪事件が起きたら悩みなんて吹っ飛んでTwitterにこう書き込むんだな、「ワロタ」、おう気が狂っちまうぜ、お前もそう思わねぇか、思うよなァ。いや…そうだ…狂わねぇよ俺らは。狂うってそもそもなんだオラァ…適当ぶっこいてんじゃねェよ…映画と小説とドラマの見過ぎだバカ野郎、人間は人間のままで何も変わんねぇ…分かるだろ…何も変わらないんだって…何も…何もだ…変わったと思ったらその比較対象がなんだったのかすら覚えていない…もう変わらないし変わることもそう、認識の否定を前提としていた俺らには拘るべき理由がないんだからよォ…この人生が嫌なら我々に出来る最善手は受動的に壊れるのをただ怒りを持って見つめるだけだ…そこにどう感情が介在しても、死の周辺に我々の観念は最終地点を常に意図せざるを得ないという圧倒的事実を自覚するよう仕向けるプロセスが存在する、耐える…耐えなくても良い…自殺しなければお前の行動は全て“耐える”と形容出来る…それが人生で…それが生きるということだ……自殺など手洗いうがいと変わらない…鬱病など財布を忘れた時にすら勝ることは永遠にない…本当の鬱病?本当に絶望…?そこに言語はあるのか?重要なのはそこだけだ、“教えてくれ”お前の辛さも、その言葉で…!!!