好きな曲をもっと聴け

例えば他人に自己紹介する時に、決して押し出すつもりはないけども、少し同士を見つけられるかもしれないなという気持ちでもって「音楽を聴くのが好きです…」と小声で言って後から話しかけられたいタイプである俺が言うのもなんだが、決してそうした音楽好きではない(他人に言う言わないは別にせよ)人も必ず「自分の“好きな曲”」というものを持っているはずだと思っている。

さて俺は、音楽に関するありきたりな言説「癒してくれる」「やる気が出る」等々に100%同意はしているけども、そういう言葉を聞くと何故か嫌な気分になる。

音楽を聴いて心震える瞬間というものは到底言葉では語りきれないし、癒しだとかで括られる訳がない。これが俺だけの個人的な意見だと思うならもうここで読まなくてもいい。圧倒的な感動を…もはや音楽じゃなくてもいい…感じた時に、言葉で括る事の陳腐さに吐き気がするほど嫌になる気持ちがあるということは強調してもし足りない。俺はそういう人間だし、そういう人間がいて欲しい。

頭痛くなってロキソニン飲んだりのと訳が違うんだぜ、癒しを求めて音楽を聴くっつーことは…打ち震える感動も言い表せない情緖も全部“癒し”の名の下に還元してしまうことになるし、そうなればのっぺりした言語先行の感情しか持てなくなるってことだよ。実局俺も癒しを求めてるのかもしれない、結果的にな…でも、癒し主体で音楽を聴くならば“その感情”もお前のだけの観念である“癒し”の名の下にどんどんと吸い込まれていくんだぜ。いつかはあんな感情もこんな感情も全部お前の言う“癒し”になるんだ。だがしかしそれで満足している、もはやその時には鳥籠の中の鳥になっているのだから。もちろん癒しなんて言葉は一つの例…

「なんだこの気持ち」という感情、ジョイマン風に言うなら「なんだこの気持ち〜!?!?」という感情を我々は温めるべきだと思う。反射的に物事に対する意見や感情を求められている、或いは発信せよと強いられている時代だからこそ、何者か分からない気持ちをそのままにしなきゃと俺は思う訳ですよ。意味が分からない?俺も分かってねぇんだからお前が分かる訳ないだろ。大切にしなきゃ?何を?知らねぇよ…

とはいいつつ分かる方法が一つある…それは好きな曲をじっくり聴くこと…これに尽きる。俺が用意した稚拙な論理展開を聞く前に、この記事を閉じて、取り敢えず好きな音楽を聴け…まずそれからだ…絶対にそれからだ…

 

好きな曲聴いたか?ヤベェよな?胸が苦しくなったり色々なやる気が出たり悩みが一時的に消えたりしたか?そうだ…お前らが今どう思ってんのか知らねぇけど、好きな曲を聴くといつも思うんだ俺は…「予想してたよりも何倍も良い」って…いつも聴いていて何回も聴いているのにいざ改めて聴くと「やっぱりマジで良い曲だな」って思うんだ…なぁ…これって俺だけなのか?俺だけだったらこの記事何の意味もねぇんだよ…………でも居るだろ、居てくれなきゃ困る、そんな人間がいない世界に俺は困る。

この良さ、もはやどう名付けても良いこの感情を、平坦化されるのが嫌なんだ俺は…この世界…刺激を追求しすぎた結果何もかもが平坦化した世界…何か自分が変わる“事件”など起こる気配もない世界、そこに存在する、常に予想を上回って我々を打ち震えさせる何かを与えてくれる…まさにそれは音楽…!

これを大切にしなきゃ俺はもうやってられないってマジで思うんだぜ。だからこそ書いてるんだ。

で、その良さを感じたことに対しても正直『胸が苦しくなったり色々なやる気が出たり悩みが一時的に消えたりした』なんてことすらも思う必要がないのかもしれないと考えたりもする。

だからもう…俺が言えるのは、言いたいのは、もうここまでだ…

【好きな音楽を聴いた時の感情を大切に】俺が言いたいのは結局これだけだよ…