反ワクチンとかそれ以前に

コロナの話をしたくないがするしかない。去年から気になっていた陰謀論、ここまで大きくなるとは思ってなかった。大きくなると言っても目にする機会が増えただけであって実際にそういう人は増えているかどうかは分からない、でも増えていると思ってしまう。確証はないけれど。

しかしまず絶対に言っておかなければならないことが一つある。相対的に言えば俺は科学主義に傾倒しているということは否定出来ないけれど、かと言って陰謀論を確実に打ちのめさなければいけない論敵とも考えてはいない(確実…笑、これはレトリックですらあるが)。敢えていうまでもないがその人にはその人の主義主張がある。それどころかその正当性を保証する理論すらもその主義主張から引っ張り出す事が可能なのだから対立しないということは稀であるという他ない(個人ではなく理論的な問題で)。だがその正当性云々以前に陰謀論に対して反動的な目線を投げかけるつもりもない。しかし反動的になってしまう時がある。それも陰謀論ではない何かしらの主張に対しても。(ここでいう陰謀論は真偽どちらでもありうる、真なる陰謀も歴史的に存在したということは誰もが否定できない事実であると言ってよい)何故なのか。科学主義といえども論理的に、理性的に考えることは「科学主義は現在のヘゲモニーである」と言う事が奇妙であるぐらい社会に浸透し許容されている価値観であり、論理的な説明を欠いたものは宗教(貶す意味での)と言わざるを得ない。だからこそ非論理的な言説を弄する集団の現れというものは尚恐ろしく感じる。それがヘゲモニーにとって変わるという恐怖からではなく、単にカルトであるから。単に会話が通じないから。言葉を通して意見の交換が全く出来ないから。事細かに説明する事が野暮であると思われる程の自明な恐ろしさ。話が通じない恐ろしさ。

反ワクチンを例に取ろう。もちろん反ワクチンが非論理的だとは言わない。今世界に流布している反ワクチン言説の浅はかさが非論理的だという事。まずワクチンには作用がある。副作用もある。これは事実だ。そして作用を求めてワクチンを打つ。副作用を恐れてワクチンを打たない。これもまた事実。ここで「副作用のデメリットよりも作用のメリットの方が上回るだろ、反ワクチンは頭おかしい」と思う方がいるかもしれない、いや、自分も9割型そちら寄りではある。だがその論理は反ワクチン側も同じように使える訳で、「デメリットの方が上回る、ワクチンを打つなんてあり得ない」とまぁこうなる訳だ。でも統計的な観点に立った理由付けが出来るのは…実利的な性格を与えてくれる考え方は…?

そう…副作用も作用も十分に考えて片方に肩入れする人はどのくらいいるのだろうか?やはりそうなると親ワクチン(反ワクチン派と対立する派閥としよう)の方は副作用も含め色々調べて、論理的に親ワクチンを選んでいる、まぁ論理的である。対して反ワクチン派でメリット(接種した人が発症しなくなる確率など)を引き合いに出す方は殆どいない。見た限りではマジでいない。これは論理的だろうか?いやこれらの偏見が俺が見た中での少数例だとしても、だとしても、自分に都合の良いものだけを引っ張ってきて、親ワクチンの言説が多い中、少数派の反ワクチンの言説を敢えて支持するという根拠はどこから生まれてきたのだろうか?となる。100個ある理論のうちの、1つがそれ以外の99個に反しているからと言ってそれが真実であるという保証と根拠はあるのだろうか?副作用に関しては誰だって心配である。親ワクチン派であっても打つことを躊躇う人は沢山いる。それでも尚天秤にかけることをせず、人体実験や5Gや数十年後の副作用などの非論理的な概念をそこまで信じ続ける気力が起こるのか。仮に実際、人体実験が行われていると信じるのならば打たなければいい。しかしながら多くの人に伝えたいならある程度信頼される科学的根拠を提示しなくちゃいけない訳だ。しかしながら人体実験を世に知らしめる必要もないなら、「世界の事実を知らない人」をバカにするために内輪でワイワイタグつけてはしゃぐことになるんでしょうか?

とにかく…信じたいものばかり信じるならばそれを保証する根拠は非論理的な場合、荒唐無稽になりがちである…まず大前提として全てが少数派であるものである英語のものや医学の権威を借りた言説を日本国旗のハンネやトランプアイコンが取り扱う…アイコンの横になんと書いてある?メディアに騙されない…覚醒している…目覚めている…

知性のかけらも感じられないと結論づけたい気持ちを抑えて俺は書いた…

とにかく言いたいのは天秤にかけずに非理性的で感情に訴えかける言葉を軸に物事を決めている人についての浅はかさだ…こんなことは親ワクチン派でも一緒…陰謀や反ワクチンが荒唐無稽な訳ではない…それを支持する人の考え方の浅はかさが目立つだけだ…疲れた…こんなことを書かせるな…