ホロライブ入門を書こうとしたら 

まず自分の考えを述べたい。

分かる。Vtuberなんて。分かる。あんなものを好んで見てるなんて。分かる。これだからキモオタクは。それは分からないけど。

今まで自分は流行に対して冷めた目で、いや強調しておく必要がある。非常に冷めた目で見ていた。ワンピースだの(今なら鬼滅の刃か)乃木坂46だの髭男だのそしてVtuberだのにハマるやつは全員「流行に踊らされてるバカな人間、考えることを知らない」とまぁ口に出して言うわけがないが、当時の最大値としてはこんなことを思っていたと思う。

実際問題そういう人間はいる。つまり、何も考えずに流行を常に追いかけている人間は。ただ…そいつらってバカなのか?何も考えないバカなのか?違うね。流行にハマるハマらないで他人の頭の不出来を決められるほど人間は単純じゃない。いや…こんな議論は的外れだ。だって他人をバカと呼ぶ人間はいつだって鬱憤を晴らしたいだけ、バカと思っているかは本質的ではなくて、感情の興奮を「バカ」という言葉にしか還元出来ないだけなのだ。だから人を罵倒する時、それもバカとかアホとか頭おかしいみたいな曖昧でかつまぁまぁの熱量がある罵倒をする時には、流行に乗る人間が単純じゃない云々とかそんな問題から考察されるべきではなくて、罵倒する側の沸点の低さ、根拠の乏しさ、語彙のなさを考えるべきなのだ。

鬼滅の刃が人気なことに対して本気で青筋立てて怒る人なんていない。いや、ネットにはいるけれどごく少数だ。それも口調で判断するしかない。(リアルでキレてる人なんて滅多にお目にかかれない、でしょう?)

流行に軋轢があるなら、反発があるなら、それはもっぱら反発者だけに原因がある。当たり前?いや当たり前ではない。鬼滅の刃を楽しむ人間の行動様式や人格や全て、それは流行を妨げるものには全くならない。一番最初に述べたように、流行に乗っている人間を「考える頭のないバカ」と呼ぶのは反発者だけの世界の出来事であり、考える頭がないからという理由で攻めてる構図を想像するとなんと空虚か。考える頭がないという想像上の反発者の言論を引っ張ってきたが、これは攻めている理由に流行者の特徴を持ってきているもの全て正当性がないのは明らかでしょう。これは語彙のなさに起因している。ただ語彙があったらしっかり批判できるかというとそれは違う。逆は成り立たない。単純に語彙が少ないから攻めているだけで、想像力がないのだ。もちろんメディアの偏向報道は多少寄与するがそれは外部からの影響だ。

考える頭がないからという自分も経験したありきたりの罵倒についてもう一言言いたいが、今の日本人自体考える頭を持ってない。もちろん自分もだが、むやみやたらに男女平等!大卒以外は価値がない!30歳になっても自分には夢があるまだこれからだ!本当に思っていなくてもそういう構造で社会が成り立ってることを認めなくちゃいけない。現実から目を背けて社会構造に身を委ねることにおいて日本人の右に立つものはいない。流行に反発する人間も流行なんだとしたら、全員めでたく思考停止。辻褄が合います。

ただ、今までに述べたように流行への反発が反発者にあると突き止めて、さらにその原因を突き止めたところで得るものが何もないと分かったはずだ。言ってしまうと反発者は仮に完成された正論ぶつけても反発し続けるだろうし、それを上から考察するのも相当居心地が悪い。

 

これからは流行に反発する理由が空虚だと分かったところで、反発も迎合もしない人間がどうするのかを考えたい。

しかしそもそもやっぱり流行に対するルサンチマンを持たずにいることなんて難しいんですよ。メディアに触れていたら否が応でも流行に触れずにはいられないし、それについて考えてしまうでしょう。個人的なルサンチマンは乗り越えられるぐらい自分と向き合える余裕があるけれど、流行なんて曖昧で全国規模のルサンチマンなら多少加担してもいいと思ってしまう、それを乗り越えるモチベーションも湧くわけがない。

だから流行なんてものは大津波と同じで四方八方どこに逃げても飲み込まれるものだと思わなくてはならない。反発者としても流行に取り込まれてしまうのだから。

だから静観を決め込むのが一番?いや個人的には静観姿勢は一番嫌いだ。第一そんな人間は生きていて楽しくないでしょう。偏見ですかね。みんなでワイワイ同じ話題で盛り上がりたいのは隠の物でも陽の物でもみんなが抱く欲求でしょう。違いますか?1人になりたい?そんなものは骨の髄から甘やかされた人間の一時の気の迷いだね。孤独がいつか勝利すると確信する人間ほど中身の無い人間はいない。だからと言って無理矢理流行に乗るなんてことは愚行という他ありませんが。ワイワイ希求は静観姿勢へのアンチテーゼというだけです。

でも流行に対する反発は捨てられない。

ならまず流行に乗ってみて、それでも冷めた目と冷笑の姿勢を崩さずにいる。ずっとバカにしておけば気が楽だ。そこで万が一にもハマれば「昔の自分はバカだった」なんて言葉で終止符を打てる。ハマれなかったら「そもそもこんなもの好きなやつおかしいと思ってたけどな」と負け惜しみを言える(実際には言わずに黙っておくのがコツ)。それは普通の構造?違う!

最初から後者の意見を持っている人間と冷笑姿勢で流行に乗った人間の間には大きな差がある。最初から「冷笑姿勢の意見」を持っている人間は冷笑姿勢をアイデンティティにしているだけ、所謂逆張りのカスだ。そういう人間は身の回りのあらゆる可能性を自分で潰している。

そして逆に冷笑姿勢もなしに、或いは知的好奇心も無しに何でも流行に飛びつく人間(友達がみんな好きだから、知っていないと恥ずかしいからという理由で)こういう人間は往々にしてアホ丸出しであることが多い。こんなことは言う必要もないか。イソジンに飛びつく人間が出てくるわけだ。直接的に人に害を与えている訳ではないが、社会的には毒であるし、搾取対象そのものである。そんな生き方をしている方が恥ずかしいだろ。

流行に機微を持てというのはそういうことだ。流行が人間と深く結びついていることを認めること、単に流行に乗るだけなら猿でもできる。だから流行という言葉が一種の若者性、無鉄砲で捉え所のない陽のイメージを抱かせる。

流行を軽視するな・・・言いたいのはそれだけだ・・・

 

で…流行のVtuberについて話そうと思うのだが…今回はここまでにします、あまりに自己主張しすぎた。

 

ホロライブ入門という言葉に騙されて最後まで読んでくれた人、これから記事が続くと思ってここまで読んでしまった人、ごめんなさい。ごめんなさいと言いつつ今からでもタイトルを書き換えられるんですけどね、しませんが。

読んでくれてありがとうございました。

次はホロライブのライバーを一人一人軽く紹介したいです。

 

この記事に不快感を示してくれる人が1人でもいてくれれば書いた価値もあるものです。