6月1日はヤンチャな気持ちになるね

やる気がない、いや…やる気はある。第一声(最初の文章)に「やる気がない」を選ぶあたりその辺のクオリアに俺が支配されている可能性は非常に高い、だが言い換えでその問題を的確に言い当てられるのか?無理でしょう。無理でしかない、無理しか望んでいない。無理だという結論しか用意できないという前提の問いなのだから。これは虚無なのか絶望なのか、無為でしかないのか。聞き飽きた質問を開け飽きた口から止めどなく垂れ流し、切り刻み、忘れる。声に出すか、文章にするのか、その断絶自体もまた然り、我々は何も認めないことを前提に問いを延々に垂れ流している。んじゃ、どうするってそりゃどうしようもねェだろ。家から出てコンビニエンスストア(通称コンビニ)に酒買いに行けば治るか?治るんだなそれが。どうしようもねェしそれがどうでもいいんじゃねェけど、所詮“そんなこと”以上にはなんねェくて、思った以上に、俺が作為的にしているようにはそこに悩む価値を見出すようには差し向けられねェ性質のモンなんだな、所詮だよ所詮。なんでも良い、シャーペンの芯が指に刺さったり、USB無くしたり、家によく分かんねェデケェ虫がいたり、いや、もっとだ、家に帰ってきたり、手洗いうがいしたり、布団に入ったり、そんなことしているうちにこんな実存の悩みなんて綺麗さっぱり完全に忘れてしまうんだぜ。芸能人様が結婚したり亡くなったりおもしれェ性犯罪事件が起きたら悩みなんて吹っ飛んでTwitterにこう書き込むんだな、「ワロタ」、おう気が狂っちまうぜ、お前もそう思わねぇか、思うよなァ。いや…そうだ…狂わねぇよ俺らは。狂うってそもそもなんだオラァ…適当ぶっこいてんじゃねェよ…映画と小説とドラマの見過ぎだバカ野郎、人間は人間のままで何も変わんねぇ…分かるだろ…何も変わらないんだって…何も…何もだ…変わったと思ったらその比較対象がなんだったのかすら覚えていない…もう変わらないし変わることもそう、認識の否定を前提としていた俺らには拘るべき理由がないんだからよォ…この人生が嫌なら我々に出来る最善手は受動的に壊れるのをただ怒りを持って見つめるだけだ…そこにどう感情が介在しても、死の周辺に我々の観念は最終地点を常に意図せざるを得ないという圧倒的事実を自覚するよう仕向けるプロセスが存在する、耐える…耐えなくても良い…自殺しなければお前の行動は全て“耐える”と形容出来る…それが人生で…それが生きるということだ……自殺など手洗いうがいと変わらない…鬱病など財布を忘れた時にすら勝ることは永遠にない…本当の鬱病?本当に絶望…?そこに言語はあるのか?重要なのはそこだけだ、“教えてくれ”お前の辛さも、その言葉で…!!!